2026年8月19日
【第4章】ヨーロッパは試すため、アメリカは広げるため、日本は結ぶためにSIBを使う
同じ道具でも、使われ方が違う
インパクトボンドという道具は、いま世界中で使われています。でも、社会が違えば、同じ道具でも使われ方が変わります。
私はこれまで、世界銀行や国連、日本の関係省庁、韓国やスペインのソブリンファンド、国内外のインパクト投資家の方々と、この仕組みについて論点を突き合わせてきました。その中で見えてきたのが、この3つの型です。
ヨーロッパは、イノベーションを試すために使う。
アメリカは、イノベーションをスケールさせるために使う。
そして日本発のソリダリティボンドは、互助を広げるために使う。
「ソリダリティボンド」という言葉、説明なしに使いました。少し立ち止まります。
これは金融商品としての正式名称ではありません。この事業の正式名称は「誰もがデジタルで自立する教育就労支援ファンド」です。
「ソリダリティボンド」は、この事業の性質を言い表すために、私たちが使っている呼び名です。
なぜこの言葉を選んだか、2つの理由があります。
1つ目は「ソリダリティ(連帯)」という言葉の由来です。
世界には「社会的連帯経済(Social and Solidarity Economy)」という考え方があります。国際労働機関(ILO)は2022年の総会で、これを協同組合・アソシエーション・共済組合・財団・自助組織など、社会的な目的のために民主的に運営される組織の総称として定義しました。日本でも2020年に労働者協同組合法が成立し、ワーカーズコープ(労働者協同組合)の運動が、この文脈の中で注目されています。
第2回・第3回で書いた「卒業生がメンター・トレーナーとして次の受講生を教える」「先輩が後輩を支える」という設計は、まさにこの社会的連帯経済の考え方に連なるものです。Robo Co-opの法人格は一般社団法人ですが、運営の発想そのものは、協同組合が大事にしてきた「当事者が当事者を支える」という原理に基づいています。
2つ目は「ボンド(Bond)」という言葉の二重の意味です。
金融の世界で「ボンド」は債券、つまり出資や融資の証書を指します。でも英語の「bond」には、もうひとつの意味があります。人と人との結びつき、絆。
第3回で書いた資金の合わせ技も、この連載を通じて書いてきた卒業生の循環も、結局は「お金の設計」であると同時に「人のつながりの設計」です。財務的な意味のBondと、絆という意味のbond。この2つを同じ言葉に重ねて呼びたいというのが、「ソリダリティボンド」という呼び名に込めた思いです。
今回は、この対比の話をします。そして最後に、私たちが自分たちの数字を控えめに扱っている理由を正直に書きます。
ヨーロッパ:試すための道具
第0回で紹介したToby Ecclesの世界初のSIB(2010年、ピーターバラ刑務所)は、まさに「試す」ための道具でした。英国政府には、再犯防止プログラムに大金を投じる余裕も、失敗したときの説明の準備もなかった。だからこそ「成功したときだけ払う」という契約が意味を持った。政府が新しいことに手を出せるようにするための装置だったのです。
この発想は、英国の制度設計にそのまま引き継がれています。
オックスフォード大学のGO Lab(Government Outcomes Lab)という公的研究機関は、インパクトボンドが実際に費用対効果を確保するには、関係者間の良好な関係と、契約の頑健さの2つが要ると指摘しています。そして支払額の設計指針では、「追加性(Additionality)」その介入がなかったとしても起きていたであろう状態を、どれだけ上回ったか——を厳密に見積もることを求めています。
介入がなくても起きたであろう状態のことを「反実仮想(counterfactual)」と呼びます。介入なしでも一部の成果が生じてしまう分(デッドウェイト)があるなら、その分は支払額から差し引くべきだ、というのが英国流の作法です。
「やったから良くなった」と言い切る前に、「やらなくても良くなっていた分」を引く。ここに、ヨーロッパ的な慎重さが表れています。
アメリカ:広げるための道具、そしてその副作用
アメリカでは、同じ道具が別の目的で使われました。うまくいったモデルを、大規模に広げるためです。
その象徴が、ユタ州の就学前教育SIBでした。ゴールドマン・サックスとプリツカー家が約700万ドルを投資し、質の高い就学前教育を提供することで特別支援教育の必要性が減り、学区と州のコストが削減される——という前提で設計されました。当初は大成功として喧伝されます。
ところが2015年11月、ニューヨーク・タイムズが報じました。「110人中109人が特別支援教育を回避した」という初期成果は、大幅に誇張されている可能性が高い。批評家からは、投資家への支払いを発生させるためにデータを操作しているのではないか、という疑念まで上がりました。
専門家の分析で問題視されたのは、主に2点です。単一の評価指標(特別支援教育の回避)だけで成果を測ったこと。そして対象者の選定に使われたテストが、本来その用途で一般的に使われるものではなかったこと。
私はこの事例を、アメリカを批判するために引くのではありません。スケールさせるという目的が、構造的に誇張の圧力を生んだ。そこに教訓があると思うからです。
大きく広げるには、大きな数字が要る。大きな数字を出すには、わかりやすい単一指標に、大きな乗数を掛けるのが手っ取り早い。この構造は、悪意がなくても、誰にでも起こりえます。
だから、私たちは「5.7倍」を単独では使いません
ここで、自分たちの話をします。私たちのプロジェクトでも、こういう数字を挙げることができます。
Robo Co-opが、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの子供の貧困に関する資料等を基に独自に試算したところ、シングルマザー家庭が経済的自立を達成した場合、1家庭あたり生涯で1億円超の社会・経済的価値が生まれる可能性がある。
総事業費1,750万円に対して、たった1名の自立で約5.7倍——そう書けば、たしかにインパクトはあります。でも、これはユタ州とまったく同じ構造です。単一のシナリオに、大きな乗数を掛けている。
ここで、ひとつだけ先に整理しておきます。「これは生涯価値(LTV)の計算だから、大きい数字でも問題ないのでは」と思われるかもしれません。LTVという手法の正しさと、デッドウェイトの問題は、別の軸です。LTVは「実現したら、どれだけ大きな価値か」を計算する手法で、デッドウェイトは「それが、この介入のおかげでどれだけ起きたか」を測る手法です。LTVの計算が精緻であっても、デッドウェイトを引かなければ、そのまま「この事業の効果」とは言えません。実はユタ州の設計も、LTV的な発想(特別支援教育を回避すれば将来コストが浮く)に基づいていました。問題は乗数の大きさそのものではなく、単一シナリオへの依存でした。だから、私たちの5.7倍にも同じ注意が必要です。
もうひとつ、大事な区別があります。「5.7倍」は、私たちの投資家への支払いを決める計算には、一切使われていません。第3回で書いたとおり、実際の支払いは、座学修了1人あたり204,375円、OJT修了1人あたり1,060,833円という、1人あたりの単価に基づく線形の計算です。ユタ州は「単一の代理指標」そのものに大きな金額を直接紐づけていましたが、島根の設計は違います。5.7倍という数字は、事業の意義を伝えるための参考値であって、支払いの仕組みそのものではありません。この違いは小さくないので、はっきり書いておきます。
だから私たちは、この数字を単独の見出しには使いません。使うときは、必ず参考値であること、特定の前提に基づく試算であることを添えます。
国際的には、こうした「何倍」の語り方には、はっきりした作法があります。SROI(社会的投資収益率)という手法では、過大申告を防ぐために4つのフィルターを掛けることが求められています。
-デッドウェイト- 介入がなくても起きたであろう分を引く
-置き換え- 他のところで悪化した分を引く
-寄与度- 他の要因による貢献分を引く
-逓減 – 効果が年々薄れていく分を引く
実際にこの作法に沿って算出された数字を見ると、水準感がわかります。英国のFRCグループが職業訓練・自立支援事業で公表したSROIは、投資1ポンドに対して2.49ポンド。日本でも、マイクロソフトの若者就業支援プログラムが、参加人数ではなく実際の就業数を成果とし、給与向上・社会保険料増加・税収増加を貨幣換算して6倍という数字を公開しています。
こうして並べてみると、「5.7倍」という数字がどのくらいの意味を持つのか、フェアに読んでいただけると思います。大きな数字を出すことより、その数字がどう作られたかを説明できることのほうが、長い目で見て価値があります。
日本の透明性の型:八王子市の例
日本にも、参考にすべき先例があります。八王子市の大腸がん検診SIBです。
ここでは「達成/未達」ではなく、「投じた額」「支払上限額」「医療費適正化効果額」の3点セットで価値が示されました。早期がん発見時と進行がん発見時の医療費を比較分析した結果、事業の医療費適正化効果は3,900万円。一方で3つの成果指標のうち達成したのは2つで、市の予算上限976万2,000円に対して、実際の支払いは540万1,000円でした。
達成できなかったことも、支払いが上限に届かなかったことも、そのまま公開されています。
さらに八王子市は、この試算ロジックを他の自治体が使えるように、「大腸がん検診支払条件試算ツール」としてExcel形式で公開しました。自分たちの計算式を、他人が検証できる形で出す。これは透明性の担保として、非常に優れた型だと思います。
私たちも、第2回で767万円・980万円という内訳を、計算式まで含めて公開しました。同じ発想です。
そして日本:結ぶための道具
では、日本発のソリダリティボンドは何のための道具なのか。互助を広げるためです。
ヨーロッパのように「試す」ことも、アメリカのように「広げる」ことも、もちろん含んでいます。でも、この仕組みの真ん中にあるのは、もっと別のものだと思っています。
第2回と第3回で書いたとおり、この事業では、支援を受けた人が卒業後にメンターやトレーナーとして次の受講者を支える側に回ります。生活支援費は金銭で返済するのではなく、次の人への「恩送り」として返される。訓練費800万円のうち213万円は、まさにその卒業生たちの人件費です。
これは、個人の成功をスケールさせる設計ではありません。支え合いの輪を、少しずつ外側に広げていく設計です。
出資してくださる市民の方も、この輪の一部です。寄付ではなく、成果を見守り、成果に応じて資金が戻ってくるかたちで参加する。県外にお住まいの方でも、島根の誰かの半年間を支えることができる。
改めて、この「結ぶ」という言葉が指しているものを、一度並べておきます。
– 受講生と受講生 – 5人1組のグループ学習で、半年間互いを支え合う関係
– 卒業生と次の受講生- メンター・トレーナーとして、学んだ人が次に学ぶ人を支える循環
– 市民・出資者と当事者- 顔の見えない誰かの半年間を、2万円から支える関係
– 企業と当事者- 有償OJTの受け入れ先として、就労の機会そのものを作る関係
– 自治体と事業者- 成果に応じて資金が動く、新しい種類の契約関係
財務的な意味でも、人としての意味でも、結ばれる相手はひとつではありません。この事業に関わる全員が、誰かとの「結び目」を担っています。
血縁でも地縁でもない、新しい「結び目」をつくる。
冒頭で書いた「ボンド」の二重の意味——財務的な結びつきと、人としての絆——が、ここで重なります。
「世界初」と言えるのか
ここは、実際に調べたうえで、言葉を選びます。
「当事者が当事者を支援する」というサービス提供の形自体は、世界のSIBの歴史の中に前例があります。世界最初のSIB(2010年、ピーターバラ刑務所)でも、更生した元受刑者をケースワーカーとして訓練・雇用し、主に他の元受刑者を支援するという、当事者主導のモデルが実際に使われていました。だから、「当事者が当事者を支える」という一点だけを取り出して「世界初」と呼ぶのは、正確ではありません。
私たちが検証したかぎり、それでも独自だと言えるのは、もう少し狭い範囲です。
企業版ふるさと納税・成果連動型SIB・出世払い型(キャリアインパクトボンドの発想)・市民クラウドファンディングを一体に組み合わせ、実施主体(営業者)自体が当事者団体であり卒業生がトレーナーを担う設計は、当社の知る限り世界初の取り組みです。
「当社の知る限り」という留保は、弱さではありません。金融商品の説明である以上、無限定の最上級表現は避け、検証可能な範囲で言い切ることのほうが、長い目で見て信頼につながると考えています。
その言葉に意味があるとしたら、それは「なぜ日本でこの組み合わせが機能するのか」を説明できたときだけだと思うからです。
ヨーロッパが試すために、アメリカが広げるために使った道具を、日本は結ぶために使う。互助の文化があり、地域のつながりがまだ生きていて、恩送りという言葉が通じる社会だから、この形が成立する。
そこまで説明できて初めて、「初めて」に意味が生まれるのだと思います。
なお、この「なぜ機能するのか」の検証は、第7回「世界のインパクトボンドが、いま躓いているところ」で、2026年時点の最新データを使って具体的に行いました。米国のキャリアインパクトボンドが自ら公表した5つの課題に、島根の設計がどう答えているのかを、出典付きで並べています。この回と対で読んでいただけると嬉しいです。
【島根県SIB 誰もがデジタルで自立する教育就労支援ファンド】
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